サウジアラビア人が宇宙へ行ったとき

世界が月面着陸50周年を祝う中、王の息子であるスルタン・ビン・サルマン王子が、どのように宇宙で最初のアラブ人でイスラム教徒、そして王族になったのか、アラブニュースに特別に語った

サウジアラビア人が宇宙へ行ったとき

50年前の1969年7月20日、そこまで小さくはない1つの出来事が、私たちの世界の見方を変えた。 2人のアメリカ人宇宙飛行士、ニール・アームストロングとバズ・オルドリンは、かつて不可能だと考えられていたことを行った。彼らは月面における人間の最初の一歩を踏み出したのである。アームストロングが「それは人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍である」と言ったことは有名だ。彼の言葉通り、アポロ11号のミッション以降宇宙ではめざましい進歩が遂げられ、宇宙科学者たちの手が星々に届くように道を拓いてきた。

最初のアラブ人でイスラム教徒、そして王族の宇宙飛行士が宇宙に行ったのはそれからわずか16年後だった。そして彼はアポロ計画50周年式典のためにヒューストンへ向かう。サウジアラビアのサルマン王の次男である彼についての紹介はほとんど不要である。 サウジ宇宙委員会の議長に最近任命されたスルタン・ビン・サルマン・アル・サウド王子は、1985年6月17日にNASAミッションSTS-51Gで宇宙に打ち上げられたディスカバリー号に搭乗していた。

人類の最も劇的な達成の1つを世界が振り返る中、『宇宙での7日間』という本を出版したばかりのスルタン王子は、アラブニュースとの特別対談インタビューで、宇宙におけるサウジの未来にとっての小さな最初の一歩となった自身の素晴らしい旅について話をした。

最初の一歩

独占インタビューで、スルタン王子は1969年7月20日にサウジアラビアでテレビで月面着陸を見た思い出を語った。

独占インタビューで、スルタン王子は1969年7月20日にサウジアラビアでテレビで月面着陸を見た思い出を語った。

月面着陸がどのように若い王子に影響を与えたか

子供時代のスルタン王子。

サウジアラビアの首都リヤドで、13歳の少年はラジオで歴史的な月面着陸のことを初めて耳にした。アポロ11号計画について学校Model Capital Instituteで話題にした後、宮殿へ帰りテレビで見るのを待ちきれなかった。画質は粗く、音は不明瞭だったかもしれないが、着陸の映像は彼の興味をかき立てた。

「人間は飛行機を作り、産業を発展させましたが、自分たちの惑星を離れるというのは格別なことです」スルタン王子はリヤドのオフィスで座って話した。

少年だった王子はリヤドでサウジ軍学校の生徒たちが制服を着て誇らしげに闊歩しているのを見て、彼らと共にいる自分を思い描いた。しかし、中学時代にリウマチと診断され彼の夢は保留される。病気により、彼は1年間学校を離れることとなり、数年にわたって激しい運動は不可能となった。

1974年、スルタン王子はデンバー大学でマスコミュニケーションの研究を続けるために渡米し、空を飛ぶ夢を実現させることを決心する(その後、1999年にシラキュース大学で社会科学の修士号を取得)。彼は自由時間に飛行レッスンを受け、1977年に米国連邦航空局の自家用操縦士免許を取得した。

当時、宇宙飛行は予定にはなかった、と王子は明かした。アラブ世界の人間が宇宙へ行くのは「不可能な考えだとして片付けていた」ためである。しかし、1976年にアラブ連盟による通信衛星会社であるアラブ衛星通信機構(Arabsat)の設立でサウジが中心的な役割を担ったことを受け、不可能が可能に思われ始めた。

1985年、Arabsatがフランスのロケットで初の衛星Arabsat-1Aを打ち上げた。2つ目の衛星Arabsat-1Bがアメリカ航空宇宙局(NASA)によって同年に打ち上げられることになり、アラブ連盟加盟国はスペースシャトル・ディスカバリー号に乗るペイロード・スペシャリストを1人選出する許可を得た。サウジアラビアが枠を勝ち取った。

サウジ空軍以前に、スルタン皇太子は自家用操縦士免許を取得した。

サウジ空軍以前に、スルタン王子は自家用操縦士免許を取得した。

サウジ空軍以前に、スルタン王子は自家用操縦士免許を取得した。

最も適した候補者探しには数カ月がかかった。通常の12カ月のトレーニング期間がとれないため、選考は英語に堪能な有資格パイロットで宇宙旅行の過酷さに身体的に耐えられる者に限られた。1000時間の飛行をし、リヤドと米国で徹底的な健康診断を受けたスルタン王子は当然の選択だった。彼は両親に許可を得て候補者の1人として名前を提出し、祝福を受けた。

スルタン王子のNASA公式写真。

NASAは第1候補のペイロード・スペシャリストと第1候補がミッションから外れることを余儀なくされた時に代わるために訓練を受ける予備の2人の候補者を受け入れた。スルタン王子は第1候補のペイロード・スペシャリストに指名された。28歳の彼はクルーの中で最年少の宇宙飛行士となった。36歳のサウジ空軍インストラクターであるアブドゥルモーセン・ハマド・アル・バッサム少将がバックアップに選ばれた。

ミッションに選ばれた時、スルタン王子はサウジ情報省の役員として働いていた。「私は戻ってきた時に国防省の一翼、サウジ空軍になるために異動したばかりでした」

子供時代のスルタン皇太子。

子供時代のスルタン王子。

子供時代のスルタン王子。

 ミッションパッチが写るスルタン皇太子のNASA公式写真。

ミッションパッチが写るスルタン王子のNASA公式写真。

スルタン王子のNASA公式写真。

訓練

訓練の様子:無重力を体験するスルタン皇太子と代役のアブドゥルモーセン・ハマド・アル-バッサム。

訓練の様子:無重力を体験するスルタン王子と代役のアブドゥルモーセン・ハマド・アル-バッサム。

訓練の様子:無重力を体験するスルタン王子と代役のアブドゥルモーセン・ハマド・アル-バッサム。

1985年6月、NASAのミッションに向けて訓練していた時の心境を語るスルタン王子。

1985年6月、NASAのミッションに向けて訓練していた時の心境を語るスルタン王子。

姿勢実験に備えるスルタン皇太子とパトリック・ボードリー。

姿勢実験に備えるスルタン王子とパトリック・ボードリー。

訓練中のスルタン王子とパトリック・ボードリー。

宇宙飛行士のヘルメットを被ってヒューストンのジョンソンスペースセンターにて。

宇宙飛行士のヘルメットを被ってヒューストンのジョンソンスペースセンターにて。

ヒューストンのジョンソンスペースセンターにて。

宇宙に備えつつ、ラマダーンの断食を行う

訓練中のスルタン王子とパトリック・ボードリー。

スペースミッションに参加するため、スルタン王子と彼の代役であるアル-バッサムは、過酷な身体作りに耐えなければならなかった。スペースシャトル上での日々のルーティーンに適応することを目的とした、NASAが「居住適性」訓練と呼ぶ114時間の訓練からなるものだ。

宇宙に行くには通常6カ月から18カ月間の集中的な訓練が必要となるが、今回のミッションは繰り上げとなったため、2人は10週間という短い時間であらゆる科学および技術的な知識を身につけ、ペイロードスペシャリストとしてのタスクを習得しなければならなかった。ラマダーンの断食中でさえも訓練は1日16時間に及ぶこともあった。

スルタン王子は次のように回想した。「この訓練とミッションが始まった時、やらなければならないことがたくさんあると気付きました。当初は冬に予定されていたミッションが夏に繰り上げられたのでなおさらです。」「時間がありませんでした。私たちは2交代制に耐えられるか尋ねられました。」

クルー。スルタン王子から時計回りにジョン・ファビアン、ダニエル・ブランデンスタイン、ジョン・クレイトン、スティーブン・ナゲル、シャノン・ルシード、パトリック・ボードリー。

クルー。スルタン王子から時計回りにジョン・ファビアン、ダニエル・ブランデンスタイン、ジョン・クレイトン、スティーブン・ナゲル、シャノン・ルシード、パトリック・ボードリー。

クルー。スルタン王子から時計回りにジョン・ファビアン、ダニエル・ブランデンスタイン、ジョン・クレイトン、スティーブン・ナゲル、シャノン・ルシード、パトリック・ボードリー。

王子はくじけることなく、目の前のチャレンジに怯えることもなかった。「勇敢な人というのは、恐怖を感じたとしても前進し続ける人のことです」と王子は語った。

しかし、王子にも1つだけ不安があった。「実は飛べなくなることが怖かったのです。体調を崩したり転んだり怪我をしたりしてミッションから外されるのではないか、もう二度とチャンスはやってこないのではないかと。それが一番怖かったです。」

サウジアラビアでの2週間を除き、訓練は全てフロリダとヒューストンにあるNASAの基地で行われた。1985年4月、2人は共にミッションに参加する6名の宇宙飛行士に合流した。そのうち5名がアメリカ人だった。ミッションコマンダーのダニエル・ブランデンスタイン、パイロットのジョン・クレイトン、ミッションスペシャリストのジョン・ファビアンとスティーブン・ナゲル、そしてNASA宇宙飛行士養成クラス女性1期生のシャノン・ルシードだ。そこにスルタン王子とフランス人ペイロードスペシャリストのパトリック・ボードリーが加わり、このクルーはスペースシャトル計画史上最も国際色豊かな構成となった。ブランデンスタインはアラムコ社のヒューストン支社人事部に連絡を入れ、クルーのためにサウジアラビアの慣習に関する講義の開催を依頼した。

スルタン王子はクルー全員が一体となって任務にあたり「家族のようになった」と語り、仲間たちへの称賛を惜しまない。ヒューストンでの訓練中、王子はメディナ・アル-ムナワラ産のデーツを口にして断食を終えていたのだが、ファビアンもデーツに挑戦してみた。それからは毎日、ジョンソンスペースセンター内のサービスオフィスにやって来た人たち全員でデーツを食べるようになった。

ヒューストンのジョンソンスペースセンターにて。

訓練中、クルーは自分たちが宇宙で口にする3食と間食をそれぞれ選んだ。新鮮なものもあれば乾燥されたものもある。ラマダーン中のため、スルタン王子は宇宙でも1日だけ断食をすることがわかっていた。その1日を除いた彼の食事は、中華料理の酢鶏、蒸したとうもろこし、チーズをかけたカリフラワー、ツナ、海老、サーモン、肉、パスタ、フルーツサラダ、オレンジ&パイナップルジュース、お茶、カフェインを抜いたコーヒーだった。

宇宙飛行士たちが訓練に励むなか、ケネディースペースセンターの輸送機組み立て棟では発射に備えてディスカバリー号の整備が進められていた。

探検家のヘンリー・ハドソンとジェームズ・クックの船の名前が由来となったディスカバリー号は、1981年にNASAが1機目のコロンビア号を打ち上げて以来、3機目となるスペースシャトルオービターだ。9つものミッションが計画された1985年はNASAにとって最も忙しい1年となった。スルタン王子が宇宙に行ってからわずか半年後の1986年、2機目のチャレンジャー号が発射時に爆発したことを受けて計画は短縮された。STS-51Gと名付けられた王子が参加したミッションは、ディスカバリーの5回目の宇宙飛行となった。

約30名のNASAのエンジニアや技術者からなるチームが、ゆっくりとした「ロールアウト(スタート)」を見守った。アポロ11号打ち上げの際にも使われた発射台の39Aに向かって、シャトルを載せたクローラートランスポーターが5キロ以上の道のりを進んでいくのだ。

それからというもの、ミッションのタイミングがずれる要因はいくらでもあった。打ち上げ前夜には発射台を支える構造物に雷が落ちたが、幸いにも遅延には繋がらなかった。

NASAの伝統に従い、宇宙飛行士たちはケープカナベラルのネプチューンビーチに立つ私邸に集まり、バーベキューの夕食を楽しんだ。そこからはフロリダの空の中に、まばゆいサーチライトに照らされた自分たちの宇宙での住処を見ることができたのだ。

打ち上げ

当時の駐米大使バンダル・ビン・スルタン王子は、スルタン王子の兄弟を含め、他のサウジアラビア王室とともに打ち上げを見守る。

当時の駐米大使バンダル・ビン・スルタン王子は、スルタン王子の兄弟を含め、他のサウジアラビア王室とともに打ち上げを見守る。

サウジアラビア大使のバンダル・ビン・スルターン王子が打ち上げを注視。

スルタン王子は、250万ポンドの推力で打ち上げられ、宇宙で無重力状態に入るのがどのようなものか説明する。

スルタン王子は、250万ポンドの推力で打ち上げられ、宇宙で無重力状態に入るのがどのようなものか説明する。

打ち上げ用の服を着るスルタン王子のNASA映像をご覧ください。

「それはこれまでにはまったく見たことのないものでした」

1985年6月17日、ついに打ち上げ日がやってきた。宇宙飛行士は午前2時に起床し、宇宙服を着こみ、祝賀ムードの中歩いて発射台39Aへ向かうバスに乗り込んだ。午前7時33分、ディスカバリーの3つのメインエンジンが始動し、ロケットブースターが轟音を立てながら点火し、地面がガタガタと激しい音を立てた。

STS-51Gの打ち上げは完璧で、宇宙船は雲のほとんどないフロリダの空から軌道に舞い上がり、NASAの約230人のアラブ人のゲストから歓声と拍手が沸き起こった。 その中には、スルタン王子の兄弟4人を含む29人のサウジ王子がいた。すなわち、ファハド王子、アーメド王子、アブドゥル・アジズ王子、ファイサル王子である。また、駐米サウジアラビア大使であるバンダル・ビン・スルタン王子、アラサット事務局長であるアリ・アル・マスハット博士、そしてサイエンスフィクションシリーズ「スタートレック」のクリエイター、ジーン・ロッデンベリー氏も同席した。

スルタン王子の交代要員も地上から見上げていた。「これは最高の瞬間の1つです」とアル・バサムは言った。「彼(スルタン王子)は宇宙に旅行する最初のイスラム教徒です。」

外では歓声が続く中、スペースシャトルの中では宇宙飛行士は非常に異なる状況に直面していた。スペースシャトルが打ち上げられると、ロケットブースターは打ち上げから約2分後、切り離される前に重力から逃れるために十分な推力を与える。したがって、Gフォース、または戦闘機パイロットが「引っ張りGs」と呼ぶ 圧力がより大きく、より長く宇宙飛行士にかかり、それは人間が通常地球上で受ける重力の3倍に相当する。

「私たちの挑戦:」ディスカバリーのカウントダウンと打ち上げをご覧ください。

ロケットの耳をつんざくような騒音の中、極端なGフォースが宇宙飛行士の体の隅々に掛かり、肺が圧迫されて息苦しくなる。ブースターは閃光を放ちながら切り離され、シャトルのフロントウィンドウは一瞬炎に包み込まれる。

それは彼らが訓練で経験していたが、スルタン王子は次のように言う。「これらのロケットブースターが点火すると、それをオフにするスイッチはありません。固体の黒い燃料です。ただ燃え続けるだけです。そして、私たちはその中にいるのです。 スペースシャトルが飛行を開始し、そして旋回を開始すると、驚くことなんですが、胃に「引っ張りGs」が掛り始め、文字通り呼吸できなくなります。何とか喘いで息をしようとする状態が続き、戦闘機を操縦するようなわけにはいきません。それは1分以上続き、体にずっと圧力が掛かりっぱなしです。」

圧力と騒音が感覚に襲い掛かり、疑いが沸き起こって来ることがある「そんな時、疑念がよぎります。待てよ、多分、これで最後かもしれない」とスルタン王子は言う。「窒息死するかも、いやそんなことはない。呼吸を促す方法を訓練したのだから。」

宇宙の静けさが落ち着いた後、すべての重さが無くなり、無重力状態で奇妙なことが起こり始める。「こんなことが始まります。ロケットブースターが切り離され、ずっと静かになります。宇宙に足を踏み入れると、最初に経験するのは、小さなものが浮かぶこと、小さなクギなど、小さなものが振動によって浮遊し始めるのです。」

宇宙飛行士が無事宇宙に到達すると、巨大な体験をしているということを理解し始める。「それはこれまでにはまったく見たことのないものでした」と王子は回想する。「 印象的なのはその黒さです。 宇宙は黒いと言われますが、それは本当に光の加減です。 その色が見えてくるのです。そして、それはまったく何もないところに存在するのです。」

「そして、孤独です。そこには私たちしかいません。そして、それは小さな世界なのです。こうした印象は、一生付いて回ります。」

ミッション

宇宙に行くのはどんなことなのか、その経験が彼の視野をどのように広げたかを語るスルタン王子。「それは別の次元に連れて行ってくれます」

宇宙に行くのはどんなことなのか、その経験が彼の視野をどのように広げたかを語るスルタン王子。「それは別の次元に連れて行ってくれます」

Reading the Qur'an in space

宇宙で休憩中にツナを食べている様子。

劇的な打ち上げが終わると、宇宙飛行士たちの本当の仕事のための時間がやってくる。地球の周りを111周する間に、実験と機器の展開を行う7日間だ。

打ち上げの8時間後に、クルーはメキシコの最初の通信衛星で、メキシコ遠隔地域にテレビ番組を配信するためのメレロスAを展開した。ペイロードスペシャリストとしてのスルタン王子の主な任務はアラブサット1Bの展開を監督することで、6月18日にディスカバリーの貨物室からの展開に成功した。それに続き、翌日にはアメリカのAT&Tのテルスター3Dが展開された。

6月20日に、クルーはシャトルのメカニカルアームを使って、天の川銀河を含む宇宙空間のX線放射をマッピングする機器を搭載した1,000kgのボックス状の宇宙放射線観測用短期型フリーフライヤーを展開した。そして調査の2日後に回収された。

実験の中には、当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンによる、「スター・ウォーズ」と名付けられたレーザーを含むミサイル防衛システムの宇宙配備を提案した戦略防衛構想に関わるものもあった。ディスカバリーは、ハワイの試験場から照射されるレーザーが追跡するためのターゲットを運び、宇宙空間を移動する物体に対する追跡性能のテストが行われた。

スルタン王子はシャトル搭乗中に、ファハド国王石油鉱物大学と連携してのロケット排気中のイオン化ガスの計測などの科学実験を実施した。その他に、王子は自国の地下水の探索と砂の移動の研究に役立てるため、サウジアラビア南西部の写真を撮影した。

スルタン王子によるジッダを含むサウジアラビア南西部の写真。ハッセルブラッドのカメラで宇宙から撮影された。

スルタン王子によるジッダを含むサウジアラビア南西部の写真。ハッセルブラッドのカメラで宇宙から撮影された。

スルタン王子によるジッダを含むサウジアラビア南西部の写真。ハッセルブラッドのカメラで宇宙から撮影された。

宇宙から地球を調査することは、科学者としての経験以上のものをもたらした。その経験はスルタン王子を、私たちは皆つながっているという理解へと導いた。彼はこう言っている、「最初の日あたりは、私たちは皆、各々の国を指差しました。3日目か4日目になると、自国が属する大陸を指差しました。しかし5日目には、私たちの意識には、ただ1つの地球があるのみでした」。

宇宙では太陽が1日に16回昇るため、宇宙飛行士たちはアイマスクをして眠った。

宇宙飛行士たちは、与えられた8時間の睡眠時間の後、管制室が鳴らす日替わりの音楽で起こされた。6日目、スルタン王子への挨拶として、彼らはサウジアラビアの歌手モハメド・アブドの「Abaad Kontom Wala Garayebein(近くても遠くても)」をかけた。

管制室がスルタン王子を起こすために流したモハメド・アブドの歌はこちらで聞ける。

スルタン王子は5時間か6時間しか眠らなかったため、残りの時間を宇宙空間でコーランを読むことで、有効に使おうと決めた。「全てを読み終えたわけではなく、とてもゆっくりと読んでいました。私はただ宇宙でコーランを読むという栄誉を担いたいと思っていたからです。」

スルタン王子が宇宙で読んだ、父親から貰ったコーラン。

スルタン王子が宇宙で読んだ、父親から貰ったコーラン。

スルタン王子が宇宙で読んだ、父親から貰ったコーラン。

こんにちは、ディスカバリー。宇宙にいる息子と話すサルマン国王と故ファハド王

「アラブライブ」で放送された、ファハド国王がスルタン王子のミッション成功を祈った電話会議で、彼の父であるリヤード州知事が国王の横に姿をみせ、コーランについて彼と話をした。『父は、スペースシャトルに乗っている私と話した時に、「コーランを読み終えたと聞いたよ」と言いました。父はとても喜んでいました』、と王子は述べた。

サルマン国王が宇宙でコーランを呼んだ唯一の人物である彼を誇りに思っていることを知り、彼はこの達成を今でも大切に心にしまっている。

国王の宇宙への通話を放送するテレビ番組。

母については、自分のために祈っていることを彼は知っていた。というのも彼女は彼の妹であるハッサ王女と共にメッカにいたからだ。貴重なインタビューの中で、スルタナ・アル・スダイリ王女はサウジアラビアのアル・ジャジーラ新聞に、出発前にこう語っている。「彼の父と私は出立式への招待を受けましたが、私たちはカーバ神殿の側にいようと決めて、彼が宇宙に行っている間にカーバ周辺で祈りを捧げていると彼に約束しました。彼の兄弟たちは行きたいと主張しました。彼の父は私と一緒に残ることにしてくれたので、私は1人きりではありませんでした」

スペースシャトルから通信する様子。

彼女はそう長く待つことにはならなかった。6月24日の午前4時、ヒューストンにあるジョンソン宇宙センターが宇宙飛行士たちを、こう言って起こした。「やあ、おはよう。帰還の準備はできているね」

それは宇宙飛行士たちに、音速の22倍のスピードで大気圏へ再突入して、その後シャトルが無事に地球に滑空するためにの9時間後の再突入に向けて、オービターの位置調整とエンジン点火などの複雑な手順を含む準備を促す合図だった。

太平洋上空を通って、ディスカバリーは午前6時11分にエドワーズ空軍基地の23番滑走路に着陸した。カリフフォルニアの太陽に照らされながらの完璧な着陸であった。

ディスカバリーの着陸の様子を映像で。

「私たちはミッションを安全にやり遂げました。私たちのミッションは本当に完璧でした。アッラーに感謝します」、とスルタン王子は述べた。

宇宙で休憩中にツナを食べている様子。

宇宙で休憩中にツナを食べている様子。

宇宙で休憩中にツナを食べている様子。

宇宙では太陽が1日に16回昇るため、宇宙飛行士たちはアイマスクをして眠った。

宇宙では太陽が1日に16回昇るため、宇宙飛行士たちはアイマスクをして眠った。

宇宙では太陽が1日に16回昇るため、宇宙飛行士たちはアイマスクをして眠った。

こんにちは、ディスカバリー。宇宙にいる息子と話すサルマン国王と故ファハド王

こんにちは、ディスカバリー。宇宙にいる息子と話すサルマン国王と故ファハド王

こんにちは、ディスカバリー。宇宙にいる息子と話すサルマン国王と故ファハド王

スペースシャトルから通信する様子。

スペースシャトルから通信する様子。

スペースシャトルから通信する様子。

地球へ帰還

タイフがスルターン王子とサウド・ビン・アブドゥル・モーセン王子、それに続きマッカー地方知事代理、そしてアブドゥルモーセン・ハマド・アル・バッサム少佐を歓待する。

タイフがスルターン王子とサウド・ビン・アブドゥル・モーセン王子、それに続きマッカー地方知事代理、そしてアブドゥルモーセン・ハマド・アル・バッサム少佐を歓待する。

タイフがスルターン王子とサウド・ビン・アブドゥル・モーセン王子、それに続きマッカー地方知事代理、そしてアブドゥルモーセン・ハマド・アル・バッサム少佐を歓待する。

タイフにて、スルターン王子が母親のスルターナ皇女に挨拶、バラの花びらが振りまかれる。

タイフにて、スルターン王子が母親のスルターナ皇女に挨拶、バラの花びらが振りまかれる。

タイフにて、スルターン王子が母親のスルターナ皇女に挨拶、バラの花びらが振りまかれる。

カリフォルニアに到着後、スルターン王子が彼の兄弟のアブドゥル・アジズ王子と抱擁を交わす。兄弟の(左から)アーメッド王子、ファハド王子、ファイサル王子がそばで見守る。

カリフォルニアに到着後、スルターン王子が彼の兄弟のアブドゥル・アジズ王子と抱擁を交わす。兄弟の(左から)アーメッド王子、ファハド王子、ファイサル王子がそばで見守る。

カリフォルニアに到着後、スルターン王子が彼の兄弟のアブドゥル・アジズ王子と抱擁を交わす。兄弟の(左から)アーメッド王子、ファハド王子、ファイサル王子がそばで見守る。

2001年ジュネーブにて、スルターン王子と、史上初めて月面を歩いたニール・ アームストロング氏。

2001年ジュネーブにて、スルターン王子と、史上初めて月面を歩いたニール・ アームストロング氏。

2001年ジュネーブにて、スルターン王子と、史上初めて月面を歩いたニール・ アームストロング氏。

1995年の彼の宇宙飛行10周年記念日に、ヒューストンのジョンソン・スペースセンターにて息子のサルマーン王子と。

1995年の彼の宇宙飛行10周年記念日に、ヒューストンのジョンソン・スペースセンターにて息子のサルマーン王子と。

1995年の彼の宇宙飛行10周年記念日に、ヒューストンのジョンソン・スペースセンターにて息子のサルマーン王子と。

スルターン王子の新たなるミッション

タイフにて、スルターン王子が母親のスルターナ皇女に挨拶、バラの花びらが振りまかれる。

カリフォルニアに帰還した宇宙飛行士たちが姿を現わすと、スルターン王子は兄弟たち、バンダル王子、アル・バッサム、アラブサットのアル・マシャット博士から出迎えを受けた。健康診断後、スルターン王子はヒューストンのジョンソン・スペースセンターへ戻った。

スルターン王子がサウジアラビアへ帰国すると、彼とそのチームに対するさらに熱烈な歓迎が待ち受けていた。タイフの空港に宇宙服を着て到着すると、彼は大勢のサウジ市民からの歓声を浴び、観衆から振りまかれるバラの花びらを浴びながら ファハド国王並びに彼の両親、姉妹、多くの叔父らと挨拶を交わした。

タイフに到着すると、スルターン王子はサウジ空軍の少佐に任命された。パイ ロットから宇宙飛行士へ転向した彼は、非公式大使でもあり、今回の彼の宇宙飛行に対して栄誉ある偉業達成の勲章を多数授与された。彼は以下のような多くの世界のリーダーらとも会見している:ロナルド・レーガン、ヨルダンのフセイン国王、パキスタンのムハンマド・ジア=ウル=ハク首相、シンガポールのリー・クアン ユー初代首相、パレスチナのヤーセル・アラファト大統領、アラブ首長国連邦の シェイク・ザイド大統領。

スルターン王子はアポロ11号のマイケル・コリンズ、バズ・オルドリン、ニール・アームストロング宇宙飛行士らとも会見している。「アームストロング氏とお会いした時は、大変良い話ができました。彼はこれから出版される本や月に関するビジョンについて話してくれました。」とスルターン王子は振り返る。「二番目の月面歩行者バズ・オルドリン氏とも親しくなりました」

スルターン王子は宇宙から帰還後、彼自身の恵まれた境遇や愛情豊かな家庭でイスラム教徒として生まれ育ったことに対して、かつて以上に感謝の念を覚えたという。彼は、イスラム教の5本の大黒柱は一日5回祈りを捧げること以上の意味を現わし、毎日必ずそれを守る人々もいるが、それだけで十分とは言えない、と指摘する。「同時に良い行いを実行しながら祈りも捧げることは可能です。『世の中にはあなたの助けを必要としている世界、あなたの参加を求めている世界がある』と言いたいのです」

宇宙から地球を眺めたことによって、彼の視点は広がった。「物事の見方がひと回り広くなります」と彼は言う。「物事への関心や情熱がより一層世界レベル、宇宙レベルへと広がるのです」

その意味でも、スルターン王子は彼の次なるミッションにむけて十分準備ができていた。彼は2000年にサウジ観光・国家遺産委員会の事務局長に任命され、サウジアラビアの国宝を保存する仕事に着手した。「 ようやく国民は、我々の国家遺産や文化が単に重要なものであるだけでなく、我々の未来にとって絶対に欠くことのできないものなのだということを確信するようになりました」と彼は言う。「世界中の文明国がそれを信じるようになっています」

スルターン王子は社長・会長職へと昇進し、2009年には大臣格となって、自国の国家遺産を保護するためのマスタープランを総括した。その一例として、2008年にアル・ウラのマダイン・サレがユネスコ世界遺産に指定されたのを皮切りに、2018年のアルアサオアシスの指定まで計5カ所がユネスコ世界遺産に指定された。

この重要な使命が達成され、スルターン王子が2018年12月に新規に設立されたもう一つの政府機関、サウジ宇宙政策委員会の会長に任命されるに至ったのは当然の成り行きであった。

「任務を移って新たな委員会を創設するように言われた時に、ふと思いました。どういうわけか、私の人生は常にスタートアップに関わっています。何らかの理由で常にチャレンジを挑み、それを次なるレベルへと導いていくことの連続です」

宇宙政策委員会はまだ立ち上げ間もないが、スルターン王子は観光委員会からの1チームを引き連れてこの新たなプロジェクトを開始した。彼はそれまでに手掛けてきたプロジェクトに対し、心動かされる言葉を贈った。「自分の国とその国民のために働くことによって人生は充実します。あなたがたとは又出会うのですから、さびしくはありません。この宇宙政策委員会が国民の皆さんの努力によって我が国から生まれたことを誇りに思います。自分自身としては、自分にふさわしい場所に戻っていくという思いです」

1995年の彼の宇宙飛行10周年記念日に、ヒューストンのジョンソン・スペースセンターにて息子のサルマーン王子と。

彼にふさわしい場所、その通りだ。我が国初の宇宙飛行士として、彼は今サウジ宇宙飛行士の新世代を構築しようとしており、彼らの活躍は我が国のみならず、世界全体へ恩恵をもたらすことになる。「この国は何世代もの歴史の上に成り立ってきました。各世代が次世代への道を開き、次世代が次なる段階へと進むためのプラットフォームを作り出すのです」

しかし、宇宙に到達するまでには大変な苦労があったこと振り返りながら、スル ターン王子は、「ただ乗り」というものはありえないと明言する。「宇宙へ飛び立っていく次世代は、祖国を心から愛する男女ばかりで構成された世代とならなければなりません。彼らは自分が宇宙へ行く理由を承知しています。宇宙へ行くのは自分の物見遊山ではないのです」

2001年ジュネーブにて、スルターン王子と、史上初めて月面を歩いたニール・ アームストロング氏。

スルターン王子が、マスタープラン、人材集め、利害関係者との話し合いなど、サウジ宇宙政策委員会の現在の活動をいくつか紹介した。「同委員会の取締役会となる国際諮問会議の結成を発表する予定です。著名なメンバーが名を連ねます。元宇宙飛行士や宇宙で大きな仕事を経験してきた人々です。そうした人々が我々のやろうとしていること全般について、意見を聞かせてくれます」

スペース委員会には青少年による諮問会議もあり、異なる世代が協働することの価値をスルターン王子は見出している。「この世代は全宇宙の中の自分たちの立ち位置をより明確に捉えています。彼らはどちらかというと普遍的な価値観を持つ世代です。しかし、もっと前の世代の人々がこの国で偉業をなしてきたことを忘れることはありません。この国を団結させることが何よりも大きな使命です。安全、安定、団結が我々全員にとっての使命なのです」

カリフォルニアに到着後、スルターン王子が彼の兄弟のアブドゥル・アジズ王子と抱擁を交わす。兄弟の(左から)アーメッド王子、ファハド王子、ファイサル王子がそばで見守る。

近年スルターン王子は何度か実地踏査に出向いている。2019年4月のロシア行きもその一つで、ロシアではロシア連邦宇宙局(ロスコスモス)の高官と会い、宇宙部門における協力体制と投資について協議した。彼は将来のサウジ宇宙飛行士を生み出すため、異世代プログラムの開発にも取り組んでいる。「そのプログラムは、子どもたちが興味を持ち、人々が実体験でき、我が国の文化に由来する、そういったものになります」

もう一度宇宙へ飛びたいと思うかと尋ねると、この極めて謙遜深い皇太王子子はこのように答えた。「考えてみると、もしあなたが私を今日宇宙へ飛ばせてくれるというなら、健康にも問題ないですし、『アッラー、万歳』ですね。行かせてくれと行っているのではありませんよ。でもチャンスがあればそのミッションを受けて立ち  ます。」

スルターン王子がサウジ宇宙政策委員会の今後の政策と、次世代のサウジ宇宙飛行士に要求されることについて話しをする。

スルターン王子がサウジ宇宙政策委員会の今後の政策と、次世代のサウジ宇宙飛行士に要求されることについて話しをする。

アラブニュースミッションコントロール

Editor: Mo Gannon
Global creative director: Simon Khalil
Reporter: Noor Osama Nugali
Graphics: Douglas Okasaki
Cameraman: Mohammed Al Baigan
Videos: Ali Noori
Photo research: Steve Willard
Photo credits: Saudi Space Commission, NASA
Copy editor: Les Webb

Editor-in-Chief: Faisal J. Abbas

With special thanks to Prince Sultan bin Salman
and Abdulrahman bin Shalhoub at the Saudi Space Commission